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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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本能寺跡

                              京都府キリシタン関連史跡

はかなく散った信長の夢


織田信長が明智光秀に討たれた本能寺は、現在下本能寺前町にある本能寺とは別の場所にありました。「都の南蛮寺」と呼ばれたキリスト教の聖堂とわずか300メートルしか離れていないことからも、信長がキリスト教を保護し、キリシタンに好意的だったことをうかがうことができます。

本能寺跡

本能寺跡


本能寺の跡地には京都市立堀川高校や高齢者福祉施設、市民ギャラリーが建てられています。

当時の本能寺は広大な寺域を誇り、信長の京都滞在の折の仮宿ともなっていましたが、光秀に焼かれて灰に帰しました。

その後信長の子 信孝により、信長廟が建てられましたが、豊臣秀吉によって移転させられ現在に至っています。

本能寺跡

本能寺跡の碑


フロイスの「日本史」には、本能寺の変のとき、騒動が起こったという知らせのすぐあと、銃声が聞こえ、火が見えたとあります。

また本能寺から逃げのびた人たちが南蛮寺に逃げ込んで、それを追う明智の軍勢と争いにならないかと心配する様子か書かれています。

本能寺の変の際には南蛮寺は無事でしたが、その後に続いた秀吉の政策により壊され二度と再建されることはありませんでした。

信長がキリスト教を保護したのは貿易や鉄砲を手に入れるためでしたが、西洋の優れた文化や知識にも関心を持っていました。もし信長が生き延びていたら、信者にはならずとも、純粋にキリスト教を信じる者を弾圧することはなかったのではないかと考えられています。そう考えるとキリスト教迫害の流れは、ここから始まったともいうことができます。(↑この碑があるのは中京区蛸薬師通小川西南角) 

本能寺跡
高校前の碑
本能寺跡
「本能寺跡」碑
本能寺跡
高校にも「本能寺」
本能寺跡
解説板
本能寺跡
案内板
本能寺跡
市民ギャラリー
本能寺跡
本能寺址碑
本能寺跡
敷地を囲む壁


 現地への行き方
阪急電鉄「大宮駅」から徒歩7分。四条堀川の交差点から北に進み、蛸薬師通を東に入ってすぐです。蛸薬師通を南蛮寺跡から西に300メートル歩いても行くことができます。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。
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