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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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小川牢屋敷跡

                              京都府キリシタン関連史跡

26聖人になった者たちも元和の殉教者たちも


1585(天正13)年から1708(宝永5)年まで牢が置かれていた場所。
表門、裏門ともに小川通に面してあったので、小川牢屋敷と呼ばれていました。

のちに26聖人となったキリシタンたちも、都の大殉教で殉教を遂げ2008年に列福された52名の者たちも、この牢に入れられていました。

小川牢屋敷跡

小川牢屋敷跡


現在はビルが建ち、一階には店舗、二階からはマンションになっていて、牢屋敷があったことを示す碑などは一切ありません。

1596(慶長元)年から1597(慶長2)年にかけて京都市内各地にあったダイウス町などから逮捕されたキリシタンたちはこの牢に入れられました。

彼らは一般罪人と交わり、言葉と態度でキリスト教の信仰を伝えました。パウロ三木は牢内で熱心に説教をして牢番を驚かせました。


投獄されたキリシタン


1596(慶長元)年から1597(慶長2)年にかけて逮捕され、ここに投獄されたキリシタンは5つのグループに分けられます。
  1. 1596(慶長元)年12月9日に逮捕された5人の伝道師、レオ烏丸、パウロ鈴木、ボナベントゥラ、トマス談義、ガブリエル
  2. 1597(慶長2)年1月1日、大坂のフランシスコ会修道院から連行されてきた4人
  3. 1597(慶長2)年1月1日、大坂のイエズス会修道院から連行されてきた3人
  4. 1597(慶長2)年1月2日の朝、祈っているところを縛られた5人のフランシスコ会修道士、ペトロ・バプチスタ神父他2人のイスパニア人、インド生まれのゴンザロ修道士とメキシコ人神学生
  5. 1597(慶長2)年1月2日の朝、四条堀川で神父たちとともに逮捕された、医者のフランシスコ与吉ら5人の一般信徒と数ヶ月に受洗したルドビコ茨城
牢から引き出された彼らは一条戻橋で左の耳たぶを切り落とされ、一旦牢に戻ってから再び出され、捨て札をつけられて市中を引き回された後、徒歩で長崎に旅立ちます。そして1597年2月5日、長崎の小高い丘西坂で、十字架につけられ殉教しました。

道中一人でも救おうと説教をし続けるパウロ三木や、主のために苦しみを受けること喜んで賛美を歌った少年たちの姿が各地の記録と宣教師の手紙に残っています。

小川牢屋敷跡

牢屋敷跡の横の道


1619年都の大殉教の時には、63名の信者が収容され2才の幼児ミゲルとペドロほか8名が牢内の極端に苛酷な条件の中で殉教しました。

ここから出された52名は、市中を見せしめのために引き回された後、正面通河原に連れて行かれ27本の十字架に数名ずつ縛り付けられました。

橋本太兵衛如庵の妻テクラは炎の中で3人の子供を最後まで堅く抱きしめて殉教したと伝えられています。



 現地への行き方
地下鉄「二条城前駅」より徒歩7分。住所は御池通小川通北西角です。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。
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