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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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松原ダイウス町

                              京都府:キリシタン関連地

元和の大殉教で殉教したキリシタンが住んでいた町


元和年間にあった三つの大殉教のうちの一つ、京都の大殉教で処刑されたキリシタンが住んでいた町。
当時この町は一軒をのぞいて皆キリシタンで、「だいうす町」と古地図には書き込まれています。

「だいうす」とはデウス、ラテン語で神様のことを表す言葉で、当時日本では「神」というと八百万の神々のことを言っていると誤解されることがあったので、キリシタンたちは自らの神をこのように呼んでいました。

松原ダイウス

「だいうす町」


1614年のイエズス会の年報には、「ミヤコでは信者は四千人ほど住んでいます。この町は大きかったので、未信者に混じってあちこちに住んでいましたが、松原と言われる通りに住む人は一軒をのぞいて皆キリシタンでした」と、この町のことが書かれています。

しかし1618年、徳川幕府による厳しい迫害が少し落ち着いたので、御降誕祭の夜にキリシタンたちは共にその夜の喜びを分かち合ったのですが、近所の人々は賑やかな集まりに気付き、京都所司代 板倉勝重に知らせを送りました。

板倉勝重は、キリシタンに悪い感情は持っていなかったので、都の雰囲気を乱さないために無関心を装いましたが、数日後、勝重の長男宗重が江戸から戻り、将軍からキリシタンを厳しく取り締まるようにという指示を受けていることを伝えたので、勝重はやむなくキリシタンたちを捕縛する命令を出しました。

1619年1月、役人たちが町の門を閉じてキリシタンの家に入り、36人が縛られて近所の家に集められ、棄教するように命じられましたが、信仰を捨てる者はおらず、所司代は全員を牢に入れました。そして10月6日、他の所で捕縛された者たちと合わせて52名のキリシタンが正面河原で火焙りにかけられたのです。

この時殉教した京都の代表的な信者、橋本太兵衛ジョアン、その妻テクラ、13才の長女カタリナ、12才の次男トマス、8 才の三男フランシスコ、6 才の四男ペドロ、3 才の次女ルイサはこの町に住む家族でした。


松原ダイウス
だいうす町周辺
松原ダイウス
だいうす町周辺
松原ダイウス
だいうす町周辺



 現地への行き方
地下鉄「四条駅」から徒歩7分。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。
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